ホリエモンの新幹線の声掛け問題について
新幹線グリーン車なう。前の席のクソ野郎がおれが寛いでいるのにもかかわらず一々「席を倒していいですか?」とか聞いてきやがる。ウゼェ。勝手に倒せや。そうやって何でもかんでも保険かけようとすんなボケ
— 堀江貴文(Takafumi Horie) (@takapon_jp) July 14, 2018
二週間ほど前、堀江貴文氏のこんなツイートがTwitterで話題になった。そして7月22日のサンデー・ジャポンでもこの発言が取り上げられた。
共演者からは批判の嵐だったらしいが、俺はこのツイートは非常に興味深いと思った。
今回の記事はそんなことがきっかけで書かれている。
まずは、この記事を読んでくれている皆さんはどうだろうか。新幹線や飛行機、高速バスで座席を倒したいなと思った時、皆さんはどうしているだろうか。
移動はほとんど飛行機で、ファーストクラスを使うから気にしたことがないって人はシチュエーションを想像だけでもして欲しい。この話は何も座席を倒す時だけの問題じゃない。
因み俺は座席を倒さない、もしくは倒したとしてもほんのちょっとだけのことが多い。なぜなら、新幹線はほとんど使わないから置いておくとして、高速バスもそんなに長時間乗ることはないし、飛行機はいつもエコノミークラスに乗るので、座席を倒しすぎると座面が前にせり出し逆に自分の前のスペースが減ってしまうからだ。
そして、肝心の声掛けだが、そんな事情から俺はあまり後ろの人に声を掛けない。ちょっと倒すだけなので、ゆっくりと少しだけ倒しそのまま知らん顔をする。
この対応に賛否両論はあると思うが、実際のところ似たようなタイプの人は多いんじゃないだろうか。
というのも、そもそも座席を倒すという他人に迷惑を掛ける行為の許可を求めるというのは少なからず勇気がいるわけであって、その勇気を出すくらいなら倒すのを我慢した方が楽と考えてしまうからではないだろうか。
そこで冒頭のホリエモンのツイートに話は戻る。
彼は「席を倒してもいいですか?」と聞いてきた人を「ウゼェ」と吐き捨てた。それ自体は褒められたことではないし、声を掛けた人が悪いわけではないし、声を掛けることが迷惑に感じる人もいるから気を遣えという話をしたいわけでもない。
ただ一つ、前の人はなぜ一言声を掛けたんだろうかということだ。
おそらくその答えは、それが「常識」だからだろう。
(あと、ホリエモンの話によると車内では彼に写真を求める人も多くいたようで、前の彼も一言断るのを口実にそれを求めようとした空気もあったらしい)
海外での常識を俺は知らないが、少なくとも日本では座席を倒す時に一言声を掛けるのが「常識」だと思う。
だから例えば前に座ってるおっさんが何の断りもなくいきなり座席を倒してきたら「イラッ」とする人は多いだろう。
でもその時「イラッ」とするのはなぜだろうか。
座席を倒されたこと自体に「イラッ」とする人は実は少ないんじゃないかと俺は思う。それよりも相手が「常識」を守らなかったことに人は「イラッ」とするんじゃないだろうか。
よく思い返してみて欲しい。他人と社会で関わる際、大なり小なり「イラッ」とすることはあるだろう。そのイラつきはその行為自体から来ているものだろうか。それとも「常識」違反からくるものだろうか。
イラつきのほとんどはよくよく考えると「常識」違反が原因なんじゃないかと思う。
俺は大学生だが、大学には授業中に帽子を被っている学生を異様に厳しく注意する教授がいるという。幸い俺はそういった授業を取ったことはないが、その教授も学生が帽子を被っていること自体に怒っているのではない。誰がただ帽子を被っているだけで怒るのだろう。授業中に帽子を被っていることが「常識」がないと思っているから、その常識違反に怒っているのだ。
肌感覚かもしれないが、日本には「常識」が多いように思う。
そして日本人の多くはその「常識」があることによって、自分たちの生活の平穏が守られ、快適に生きていけていると思っている。
だが、本当にそうだろうか。
相手に「常識」を求めるということは、自分もその「常識」を求められるということだ。「常識」は、相手にされる時だけ発動させて、自分がする時は無視できるものじゃない。
社会人のメール作法、自分がする時は面倒に感じるし、相手から来た時はそこに感動するだろうか。しないだろう。お世話になった云々の定型文は読み飛ばし、要件だけ読むのではないだろうか。
コンビニでの接客。店員の丁寧な接客に感動するだろうか。しないだろう。むしろ大して待ってないのに異様に謝られ、持ってないポイントカードについて聞かれて面倒じゃないだろうか。それに仮に自分がコンビニで働くとしたら、全然ありがたくもない接客マニュアルを自分が実践することになるのだ。それがある意味小売接客マニュアルの「常識」だからだ。
映画館や新幹線での飲食。ポップコーンや駅弁といった推奨されている食べ物があるにも関わらず、それすらも食べていることに文句を言う人がいるという。彼らはおそらく自分の中で新しい「常識」を作り出している。「仮に食べていいとされていても食べない方が常識的だろう。なのに彼らは食べている。常識がない」と。自分で常識を作るのは勝手だがそれを他人に押し付けられたらたまったものではないし、仮に自分が食べたい時があってもその自分ルールに縛られることになる。
日本人は常識やルールやマナーが大好きだ。もちろん社会をより良く保っていくために必要な取り決めというものは存在する。その最たるものが憲法、および各法律だろう。そして法にするほどではないが、大切なルールやマナーや常識も当然ある。
人に悪いことをしたら謝るというのは、しなかったら罰せられるわけではないが、人として当然持っているべき常識だ。
しかし、そんな当たり前の常識ですら守れない奴がこの世にはたくさんいる。刑罰がある法律だって破って犯罪を犯す奴がいるんだから、常識を破る奴がいるのも当然といえば当然だ。
つまりだ、ルールを作ったからって全員が守るわけではないし、ルールを作ることが必ずしも社会をより良くするとは限らないということだ。その典型的な例は禁酒法だろうが、そこまでスケールを大きくしなくても、新しい常識を生むことが自分達の生活を必ず良くするとは限らない。
むしろ、その常識を守らない人が多いせいで、自分が日々イライラすることになるかもしれない。
話が大きく逸れたように感じられるかもしれないが、実はそうではなく、これらのことを踏まえた上で再度ホリエモンのツイートを思い返してみる。
今現在は、座席を倒す時に一言声を掛けるのが「常識」の社会だ。
しかし実際、「席を倒してもいいですか?」の声掛けは「席を倒しますね」の宣言と同等だ。「嫌です」と断ることはできなくはないが、ほぼしないだろう。
そして、声を掛けるのが「常識」とされているため、後ろの人がなんとなく声を掛けにくい人だった場合、「どうせちょっとだし」などと自分に言い訳して我慢するだろう。
しかしこれがホリエモンが望むように勝手に倒すのが「常識」の社会になったらどうだろうか。
当然前の人は断りもなしに倒してくる。しかし現状でも結局は倒されるわけだし、黙って倒すのが常識なのだから別にイラッともしない。座席の構造によってテーブルの上のものが揺れたりするかもしれないが、やばかったら「ちょっと待ってください」と言えばいい。ないしは倒すほうがゆっくり倒し始めるなどといった部分で気を遣えばいい。
そして声を掛けないのが普通なのだから、後ろがどういう人だろうが黙って席を倒せる。疲れて寝たいのであれば黙ってゆっくりと席を倒せばいい。もしくは倒す前に軽く後ろの様子を見てもいいだろう。なんにせよ声を掛けなくていいのだから気は楽だ。
どっちがいいかは人それぞれかもしれないが、俺は後者のホリエモンの望む社会の方が生きやすいと思う。自分も変な気を遣わないし、相手も別に気にしない。
気楽で素晴らしいと思う。
今回は座席の話だったが、日本には他にももっと無くてもいい、もしくは無いほうがいい常識がたくさんあると思う。
そしてその常識のせいで自分たちで自分たちの首を締めている。
日本が息苦しく感じる時があるのはそういったことが原因のように俺は思う。