平成2020世紀日記

大学生の視点から社会、政治、映画やアニメ、自分の事から身近なくだらないことまで語るブログです。

人生で初めての感覚

お久しぶりです、Kazmaです。

約3ヶ月近くブログを更新していませんでした。

というのも、3月からなんだかんだバタバタとしていて、5月のGW明けからは会社に就職して働き始めてしまったからというのが大きいです。

家には割とそこそこな時間に帰っては来れるのですが、慣れない仕事で疲れているのもあって最初の三週間は帰ってもだいたいベッドの上でダラダラしていました。

しかし徐々に家に帰ってからなにかをしようという活力も生まれだし、まずはストップしていたブログから書いてみることにしました。

この三ヶ月に何があったのかなどの詳しい話なんかは近いうちにラジオで配信すると思うんで、興味のある方はそちらを楽しみにしておいてください。

 

そんなわけで、今回は、タイトルにある通り僕がここ最近味わっている「人生で初めての感覚」についてのお話です。

僕が時々投稿する自分語り系の記事なので、そういう系が苦手な人は、ブラウザバックするか、我慢して読んでください。

 

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さて、まずはタイトルにもある「人生で初めての感覚」の正体について、冒頭で話してしまおうと思う。

と、その前に、皆さんはSHISHAMOの「OH!」という曲を聴いたことがあるでしょうか。

ない人はぜひ聴いてみて欲しい。とても元気づけられる曲なので。

ある人は歌い出しの部分を思い出してみて欲しい。

曲の出だしはこうだ

ずっと続くわけじゃないんだよ

今過ごしているこの時間は

もう二度と帰ってくることのない今を

周りの目気にして無駄にすんなよ

(OH!  作詞作曲:宮崎朝子)

人はボーッと生きていると、今過ごしているこの時間がずっと続くような感覚に陥る。

でも実際は時間は進んでいるわけで、その瞬間に戻れないのはもちろん、その場にその立場でいられる時間というのもどんどん少なくなっていく。

幼稚園、小学校、中学校、高校、大学。

通っている間は、この時間がずっと続くような気がしているし、そしてずっと続いて欲しいと思っている。

僕にとって22歳までの人生は、ほとんどの時間がずっと続けばいいなと思うものだった。

 

しかし、5月から会社に入社し、GW明けの5/7から働き始めた僕は、「人生で初めての感覚」を味わった。

そう、「今過ごしているこの時間はほぼ死ぬまで続くし、別にずっと続いても欲しくない」と。

いや、別に会社がブラックなわけじゃない。

むしろいつもほぼ定時で帰れるし、服装は自由だし、エンジニアの仕事なので性にも合ってる。少人数の会社だが、社員もいい人ばかりなので働きやすい。

別にこれといって大きな不満はないのだが、このまま定年まで社員として働くと考えたら漠然とした絶望を感じるのだ。

何もせずにこの地位に甘んじていれば、会社が潰れたり首にならない限り、定年までこの会社にいるのだろう。

でも別にそれは僕にとってずっと続いてい欲しい時間ではない。

小学校、中学校、高校、大学までなら、あの生活が死ぬまで続いていも、まあそれはそれでいいか、と思えた。

でも今は無理だ。

 

僕は最近、人に自分の今の状況を話す時、よく「ワンピースの頂上決戦後のルフィの状態」と言っている。

この例えがよく分からない人のために簡単に説明する(薄いネタバレが含まれるので注意)

簡単にいうと、頂上決戦で自分の力の限界を知ったルフィが2年間の修行を始めたのだが、それと同じということだ。

僕は以前から「起業したい」と言っていたが、実際に起業をしようと動いてみると自分の力不足を思い知らされた。

発想も未熟、実行力もない、目立ったスキルもない、株式のことも知らない、ファイナンスも分からない。

これでは到底起業なんてできるわけがない。

まあ仮に30万払って会社を作ったとしても成功させられない。

だから僕はエンジニアの会社に就職し、プログラマーとしてのスキルを身につけることにした。

そしてその傍ら、個人的にWebサービスを開発したり、同じ志を持つ先輩や友達と成長し(仲間がいる゛よ!!!!)、3年後までに起業すると決めたのだ。

3年後に!!!! シャボンディー諸島で!!!!

 

まあ、ここまで熱く語ってしまったが、久しぶりのブログで文章のテンションがよく分からなくなっているということで許して欲しい。

なんか最初敬体だったのに、途中から常体になってるしw

やっと仕事にもなれ夜に自分のこともできるようになってきたので、これからまたブログや動画を更新していくと思うので、これからもよろしくおねがいします。

じゃあ、また!

 

転売屋がいなくても本当に欲しい人は買えない

こんにちは、Kazmaです。

やはり春休みは時間があるので、ブログの更新が捗ります。

 

今回はよくネットで話題にあがる「転売」について語っていこうと思います。

ぜひ最後まで読んでもらえると嬉しいです。

www.huffingtonpost.jp

先日、しまむら刀剣乱舞のコラボトレーナーが発売されたらしいのですが、転売屋と思われる人が買い占めてしまった店舗もあったらしく、作品のファンの方がTwittterなどで転売屋から買わないよう呼びかけるということがありました。

僕も確認してみたところ、定価税込1900円のトレーナーがメルカリなどのフリマアプリで3000円前後で取引されていました。

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アニメなど熱心なファンが多いコンテンツの数量限定商品に対してよく起こる、転売

そんな転売が話題になった時に、必ずといっていいほど人々が口にするのは、このセリフです。

「本当に欲しい人が買えなくなる」

しかし、転売屋が仮にいなかったとして、本当に欲しい人は買えるのでしょうか。

 

 僕は、買えないと思います。

 

なぜなら、限定商品の場合、そもそも、世の中に存在する本当に欲しい人の人数分だけ商品が用意されていないからです。

つまり、転売屋がいようといなかろうと、本当に欲しい人は買えないのです。

 

ただ、転売屋がいなければ、本当に欲しい人に商品が渡る率は高くなるとは思います。

 

しかし、その結果何が起こるのか。

 

それは、本当に欲しい人であるあなたがその商品を買えなかった場合、その後それを手に入れられる可能性がかなり低くなるということです。

 

例を使って考えてみましょう。

例えば、あなたが本当に欲しい商品があったとして、その生産数が100個だったとしましょう。

そして、宇宙の法則か法律かは分かりませんが、転売屋がこの世に存在しないとします。

そういう条件の下で、その商品がネットで先着販売、もしくは抽選販売されたとします。

そこで運良く商品を手にすることができた場合は、幸せ者です。

 

ですが、残念ながら先着で負けた、もしくは抽選で外れてしまって商品を買うことができなかった場合はどうなるでしょうか。

その限定100個の商品は、あなた以外の本当に欲しい人の手に渡ります。

本当に欲しい人は、本当に欲しいのだから、せっかく手に入れた商品をよほどのことがない限り手放さないでしょう。

その結果、あなたが生きているうちにその商品を手に入れられる可能性はかなり低くなってしまうのです。

 

逆にいうと、本当に欲しくない人である転売屋が購入していくれているおかげで、運悪く商品を買うことができなくても、最終手段として「転売屋から買う」という選択肢が残されているのです。

 

ちなみに僕は一度だけ転売屋から商品を買ったことがあります。

それは「ニンテンドースイッチ スプラトゥーン2同梱版」です。

僕はスプラトゥーンは1作目から好きで、2も絶対買うと決めていました。

ただ、同梱版がでるのを知っていたので、スイッチはギリギリまで買わなかったため、発売日にスイッチを手に入れることができませんでした。

しかし発売日は大学のテスト期間で、正直買っても勉強をしないといけずあまりプレイできないだろうから、テスト期間が終わるまでに手に入れられればいいやと思っていました。

ただ、あの当時のニンテンドースイッチの品薄ぶりは凄まじく、東京の大型店を定期的に見て回ってもどこにもありませんでした。

そしてとうとうテスト期間最終日、最後のテストを終えた僕は、Amazonで定価よりも2万円ほど高いニンテンドースイッチを購入しました。

 

転売屋から買ったことに対して賛否両論はあると思いますが、僕は、実店舗やネット通販サイトを定期的にチェックする労力、買えないイライラ、プレイできないイライラ、そういったものを2万円で解決できるなら安いものだと思っています。

まあ幸い、ニンテンドースイッチは数量限定の商品ではないため、気長に待っていればいつかは買えるものですが。

 

ただ世の中には、様々な事情から数量限定になってしまうもの、再販が難しいものがあります。

(例えば、カードゲームのスリーブなどは、印刷する環境によってデザインに違いが出てしまうため基本は一度生産したらおしまいらしいです。というのも、ぱっと見は同じデザインであっても若干の違いがあるスリーブは、それを試合で悪用することができるからです)

 

本当に欲しい人の手に渡ったのなら、自分は買えなくても納得する。

 

そういった潔い心をお持ちの方は、転売屋を憎んで当然でしょう。

しかし、転売屋がいなければ自分が買えたのにと恨んでる方は、転売屋がいなくても買えなかった可能性、もしくは買えなかった場合、その商品を手に入れるのが相当困難になってしまうということを考えてみるといいと思います。

 

転売は、決して褒められた行いではないと思います。

転売を業務として行っている場合、古物商の免許が必要となり、それを持っていない場合は違法行為です。(しかし昨今ネットで大規模に転売を行っている転売屋はこの古物商の免許を持っていることが多いらしいです)

また、商品の販売者が、転売しないことを条件に商品を販売していた場合、それを破って転売を行えば、債務不履行による損害賠償が発生する可能性があります。

 

しかし、そういった法的な問題をクリアしていた場合、転売を非難することは、もはや倫理的な問題になってしまいます。

ネット上では、法律よりも市民感情や倫理観が優先されることが多いですが、社会の基本ルールは法律であり、それを守っているからには、必要以上に攻撃することはむしろ攻撃側が悪になってしまいます。

 

欲しい商品が買えなかった場合に、転売屋を恨む気持ちは分かります。

定価の数倍以上の値段に釣り上げられ、お金が勿体無いというのも分かります。

しかし僕は、そういう不都合に対して、転売屋に「売らないで」、消費者に「買わないで」と倫理観に訴えることはあまり効果がないと考えています。

期待可能性が低いと思います。

 

こういった不都合はシステムで解決していくべきです。

例えば、最近はQRコード決済などの電子決済が話題ですが、電子決済であれば実店舗、ネットともに購入制限などをかけることが簡単になります。

また、転売行為をひとまとめに禁止していまうと、急に行けなくなったライブのチケットなどを売ることができなくなってしまい、消費者に不都合が生じます。

そのため、公正な取引が可能な、サービス間共通の電子決済アカウントのようなものがあればいいのではないかと考えていたりします。

まあ、今現在そういったものがないのには、何らかの欠点や問題があるからかもですが……。

 

最後にまとめますと、転売は決して褒められた行為ではないが、少し違った視点で見ることで余計な問題を生まずに済むのではないか、という話でした。

決して僕は転売を全肯定しているわけではないですよ。

それでは、また!

 

東のエデンに出会わなければ僕の人生は180度違った 平成2020世紀アニメ談義①

こんにちは、Kazmaです。

先日投稿したこちらの記事↓

kazma1996.hatenablog.com

がたくさんのアクセスをいただいて、嬉しい限りです。

自分の今の正直な気持ちを書いたものだったので、多くの人に読んでもらって何かしらを感じてもらえていたら幸いです。

 

さて、今回はアニメの話です。

というのも、もともとこのブログは、僕が社会に対してあれこれ言っていくブログにするつもりだったのですが、しっかりと記事にしてまで言いたいことは、そういつもいつもあるわけじゃなく、ジャンルを広げていかないと更新が止まっちゃうなと思い、少し方向を変え、僕の好きな映画やアニメについて語る記事も時折いれていくことにします。

アニメに興味のない方も楽しめるように工夫するつもりなので、よかったら最後まで読んでいってもらえると嬉しいです。

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※今回の記事でいう「アニメ」とは、主に深夜アニメ、もしくはアニメオタクという文脈で語られるアニメのことを指します。ポケモンデジモンやジャンプ系、その他夕方や朝にやっている子供向けアニメは小さい頃からいろいろ見ていたのですが、それは分けて考えていきます。

 

僕がアニメと出会ったのは、中学三年の時でした。

クラスの友達が、とあるアニメをWOWOWの再放送で見たらしく、面白かったよと勧めてくれました。

僕が中学の頃といえば、まだまだネット文化やアニメはオタクのものと捉えられていて、給食の時間に放送でボカロが流れるとヤンキーや女子が「キモイ」と文句を言うほどでした。

当時僕は毎回テストでは学年上位5位以内には入る勉強ができる人で(高校に入ると同時に底辺を這いずり回ることになるのだが、それもアニメと関係があります)、特にアニメやネット文化に触れてはいなかったが、女子がジャニーズを放送で流すのと、オタクがボカロを流すことに本質的に違いはないなぁ、なんて思っていました。

アニメ好きの友達が「こんなアニメが面白かった」「すごい笑えるシーンがあって」と熱心に語ってくれても、話半分に聞いていた覚えがあります。(ちなみにその笑えるシーンというのは、うろ覚えなのだが多分エンジェルビーツの錐揉み飛行のシーンのことだったと思う)

 

じゃあ、なぜその友達の勧めたアニメは見ようと思ったのか。

はっきりとは覚えてないのですが、その友達が話してくれたあらすじに興味を持って、仲が良かったこともあってとりあえず一話だけでも見てみようと思ったのだと思います。

そのアニメというのが、「東のエデン」です。

 

僕の人生の全ての原点にして、元凶ともいうべきアニメ。

あの時、あの中学三年のあの時、このアニメに出会わなければ、今の僕の人生は良いか悪いかは別にして全く違うものになっていたと思います。

東のエデン」というアニメを知らない方のために軽くあらすじを説明しておくと、

11人のセレソンと呼ばれる人たちが、彼が持つノブレス携帯と呼ばれるケータイ電話に入った100億円で日本を救う、という話です。ノブレス携帯には一人ひとり別々のコンシェルジュがついていて、彼らに電話して「〇〇をして」と頼むと、100億円から経費を差し引いてほとんどのことを実行してくれます。

ミサイルを飛ばすことも、ビルを1棟買うことも、人を殺すことも……。

ノブレス携帯から頼むとどんな依頼も合法的に実行することができます。

11人のセレソンたちは、それぞれの目的を持って、その100億円を使う、という話です。

 

このアニメはTVシリーズ11話、劇場版2作品で完結し、話自体が面白いこともそうなのだが、一番僕に影響を与えたのは、この作品の設定やストーリです。

「この国(日本)の空気と戦う」、「あがりを決め込んだおっさんたち」

そんな概念は、中学3年の僕にはとても新鮮に写りました。

というのも、僕は当時、日本は先進国なのだから、法律はもちろん社会もほぼほぼ完成しきっていると思っていました。

ただ、このアニメを見て、現実社会は未完成、どころか多くの欠点を抱えているのかもしれない、という考えが芽生えたのです。

その結果、社会を何も疑問視せず、ただただ純粋に勉強ばかりをしていたことが何だか無駄に感じてしまい、中学3年でありながら勉強のモチベーションが少し下がっていきました。

社会を疑う、というスタンスが僕の基本姿勢になったのはこの頃だったと思います。

ちなみに誤解しないで欲しいのは、僕は東のエデンを恨んでなどいなく、むしろ感謝しているということです。

一番好きなアニメは?と訊かれれば、まっさきに「東のエデン」をあげるくらい大好きです。

去年ニューヨークに行った時は、劇場版の聖地巡りもしました。

 

こうして一本の深夜アニメによって大きな転機を迎えたわけなのですが、そこからアニメにどっぷりハマったかというとそうでもないです。

高校に入り、勉強のモチベーションが下がったままの僕はネット、主にYouTubeニコニコ動画にハマりました。

そこでいろいろと動画を見ていく中で思うことが1つありました。

それは、「パロディが分かんねぇ」ということ。

 

例えばレオモンさんの色違いのコイキングで殿堂入りを目指す動画の次回予告。

エヴァ風の予告だということはコメントで分かるのだが、実物をしっかりとは見たことがない。

だから面白さを100%は味わえないのです。

そこで僕はとりあえずエヴァンゲリオンだけ見ることにしました。

そして、そこでもう一度僕は衝撃を受けるのです。

エヴァ、おもしれぇーーーーー!!!」

中学の同じ部活の友達にエヴァ好きはいたし、エヴァンゲリオンが有名というのは知っていたのですが、これまで興味を持ってはいませんでした。

ただ、見てみてびっくり。

めちゃめちゃ面白かったのです。

これまで映画やドラマばかりを見てきた僕にとっては、エヴァのような世界観や雰囲気は新鮮で、アニメはこういう表現もできるんだと感動しました。

そして僕の頭の中に1つの考えが浮かびました。

 

エヴァってアニメの中じゃ有名な方だよな。あれ、待てよ。俺が見てないけど、有名なアニメって他にもいっぱいあるよな。もしかしてだけど、有名なアニメって全部面白いんじゃないか!?

 

興味を持ったらすぐに実行に移すのがモットーの僕は、早速有名ところのアニメをどんどん見ていきました。

とあるシリーズ、物語シリーズけいおんハルヒ、シュタゲ、らきすた、あの花、まどマギ、etc...

そうやって多くの有名どころのアニメを見て出した結論は、

「アニメって面白いんだ」

でした。

 

今までなんとなく敬遠してたアニメも、ちゃんと見ると実写の映画やドラマとは違った魅力があって面白い、と気付いたのです。

そこからはリアルタイムで放送されているアニメも積極的に見るようになりました。

高校時代にリアルタイムで見たアニメで一番印象に残っているのは、やはり

PSYCHO-PASS」です。

僕は、好きなアニメは?と訊かれ、2つあげていいのなら東のエデンと同率1位でPSYCHO-PASSをあげます。

ちなみに僕は法学部に入っていますが、その理由の1つにPSYCHO-PASSがあるくらいです。

PSYCHO-PASSに関しては、東のエデンより有名なので、見たことがある人も多いとは思いますが、こっちも軽く内容を説明すると、シビュラシステムと呼ばれる人の心の状態を調べることができるシステムが、犯罪係数と呼ばれる数値も測定していて、犯罪係数が一定数以上になると逮捕、または処刑対象になる未来の日本が舞台です。

主人公は、犯罪係数が一定数を越え、犯罪者となった人たちを逮捕したり、処刑する公安の監視官で、さまざまな犯罪の捜査をしていくという話です。

今後の社会の在り方、法律の存在理由など、僕は多くのメッセージをこのアニメから受け取りました。

 

と、ここまで述べてきたように、僕が人生で影響を受けた作品の多くはアニメです。

まあそれだけたくさん見ているからなのですが、日本は予算の問題で実写作品はCGやセットを贅沢に使った大作が難しいため、アニメのほうが好みの作品が多くなるというのもあります。

今回の記事は今後シリーズものにする予定ということで、「平成2020世紀アニメ談義」と銘打っているので、最後に僕のおすすめアニメや名シーンを紹介して締めたいと思います。

 

まず、おすすめアニメから。

1つ目は、

マインド・ゲーム

 これは2004年のアニメ映画なのですが、作品のメッセージや解釈にすごく影響を受けていて、僕が書いた短編小説の中にもこの作品と同じメッセージを入れたことがあります。

監督は「四畳半神話大系」を作った湯浅政明さんで、独特の絵の表現が楽しく、ラストのオチも明日から人生を豊かにするものになっています。

 

2つ目は、

涼宮ハルヒの憂鬱」 

もはや古典となりつつあるアニメだが、ハルヒには2006年放送版と2009年放送版がある。今NETFLIXなどで見られるハルヒは2009年版だが、別に話が違うわけではなく、2006年版は時系列がバラバラなのでそれを時系列順に直し、話を追加したものです。

なので特に気にする必要はないと思います。

有名だけど、意外と見たことないという人も多いと思います。

学園モノで意外とハードSFという僕の好きな世界観、キャラ、ストーリー、どれをとっても最高だと思います。

TVシリーズだけでなくぜひ劇場版の「涼宮ハルヒの消失」も見て欲しいです。すごく引き込まれます。

 

次に僕の思うアニメ名シーンを紹介します。

軽くネタバレを含むので、気になる方はブラウザバック推奨です。

まず1つ目は、とある科学の超電磁砲」12話のラストシーン。

主人公御坂美琴がAIMバーストに対して語りかけながら、本気の電撃をあびせるシーン。

レベルアッパーを使ってしまった人達の思いを汲み取りながら、「もう一度頑張ってみようよ」と励まし、レベル5の力の差を見せつける名シーンです。

とある科学の超電磁砲」は、「とある魔術の禁書目録」のスピンオフ作品ですが、本編に負けず劣らずのアニメです。むしろ僕は超電磁砲の方が好きです。

禁書目録の世界観設定を活かしながら、科学サイドのみに焦点を当て、人間関係や超能力の強さの差による劣等感などをうまく描いていて、とても面白いです。

また、最終話24話の高速道路でのバトルシーンも、12話のラストシーン同様にOPソングが流れながらの凄くかっこいいシーンなので、ぜひシリーズ通して見ることをおすすめします。

 

2つ目は、化物語」12話のラストシーン。

夜、山の上で野原に寝っ転がって、星空を見上げる阿良々木くんと戦場ヶ原さん。

二人の会話を一部抜粋させてもらう。

戦場ヶ原「これで全部よ」

阿良々木「ん? 何がだ?」

戦場ヶ原「私が持っているもの全部。勉強を教えてあげられること。かわいい後輩とぶっきらぼうなお父さん。それにこの星空。私が持っているのはこれくらいのもの。私が阿良々木くんにあげられるのはこれくらいのもの。これくらいで全部。」

阿良々木「全部」

戦場ヶ原「まあ厳密に言えば、毒舌や暴言があるけれど」

阿良々木「それはいらない」

戦場ヶ原「それに私自身の肉体というのもあるけれど、それもいらない?」

阿良々木「えっ、あ、いや、その……」

                       アニメ化物語 12話より引用

僕はこのシーンがめちゃめちゃ好きで、自分の中の恋愛の究極のシーンだと思ってい、ます。戦場ヶ原は過去のトラウマからこの時は肉体はもう少し待ってというのだが、それも後々に……。(気になる方は偽物語を見てください)

物語シリーズは僕も大好き作品で、残念ながらまだ小説の方は読んでいないのだが、アニメは全部見ている。

独特のセリフ回しや新房さんの演出が好きな方ならきっとハマると思うのでぜひ見て欲しいです。

 

さて、平成2020世紀アニメ談義の第一回はこのあたりで終了です。

いかがだったでしょうか。

次回をいつにするか、どういった内容にするかはまだ未定ですが、アニメについて語りたいことはたくさんあるので、楽しみにしておいてください。

それではまた!

 

未だに内定ゼロだし、自分起業よろしいか? って言ってるけど……

 こんばんは、Kazmaです。

 最近はNetflixで映画や前から見ようと思っていたアニメを見る生活を送っています。

 そして時たまエージェントから紹介される企業にエントリーし、面接を受けに行く……

 今回はそんな今の生活を送る中で思うことを記事にしています。

 なんだか暗い雰囲気な始まりになってしまいましたが、僕は元気なので大丈夫ですw

 

例え話をしましょう。

友達と3人で、話題のスイーツ店に行ったとします。

その店の看板メニューは、マンゴー味のかき氷だったとして、でもメニューを見たらイチゴ味も美味しそうだったとします。

値段的にも量的にも2つ頼むのは多すぎる。シェアするって感じでもない。

人気なマンゴーと、自分好みのイチゴ。

友達2人はマンゴー味にするという。

そんな時、あなただったらどっちにしますか?

 

ちなみに僕はマンゴーにします。(ちなみにこの例え話、台湾のアイスモンスターがモデルです)

なぜならお店のメニューの時はとりあえず定番を選ぶのが僕の基本スタンスだから。

 

でも定番メニューがない時、もしくはあっても自分の食べたいものとはどうしても

違う時。

そういう時、僕は定番じゃなくても、友達と違うものでも、自分の食べたいものを頼みます。

でも、いざ料理が運ばれてきて友達と一緒に食べ始めても、違うものを食べているのだから感想を共感しあうことができません。

自分はこれが食べたかったのだからいい、と納得していても、やっぱりみんなと同じのにすればよかったかなと若干後悔した経験、皆さんにもあるんじゃないでしょうか?

 

人と違う道を選ぶ時、その道にどれだけ自分が納得をしていても、一抹の後悔や不安は付き纏うものなんじゃないかと、僕は思っています。

食事は一瞬です。食べ始めに若干の後悔があっても、すぐに食べ終わって忘れてしまいます。

でも、人生の道を選ぶ時、それは食事よりもうんと長いです。

途中で引き返すことができても、もといた時間には戻れないし、そもそも引き返してやり直すことさえ難しいこともあります。

 

僕の人生のモットーは、「今やりたいことをやる」です。

逆に言うと、今やりたくないことはやらないわけです。

なぜそうするのか。

これをモットーにした理由はまた別の記事で語るとして、僕は人生とは今の連続体だと思っています。

「〇〇をすれば5年後にはバラ色の人生がある。」

仮にそうだとして、でもその〇〇が苦痛でしかないものなら、その未来までも5年間は辛いものになり、その間の人生は楽しくないでしょう。

そして〇〇をしたことで得られたものは、思い描いていた通りのものでないこともあるでしょう。

人生は今の連続体なのだから、仮に五年後にバラ色になると言われても、それまでの今の積み重ねがつまらなければ、きっと人生はバラ色にはならないんじゃないでしょうか。

 

中学を頑張れば高校に入ってから遊べる。

高校を頑張れば大学に入ってから遊べる。

大学で頑張れば会社に入ってから遊べる。

会社で頑張れば退職してから遊べる。

 

だから僕は基本今だけを見て生きています。

 

それとは別の話で、みんな小学校の頃は、自分はなんでもできる、といった感じの万能感を持ってはいなかったでしょうか。

「俺はこの封印されし右手に闇の力を秘めていて、この封印を解いてしまったら世界が崩壊する」みたいな中二病の話ではなく、自分は今は子供だけど、どんどん成長するに連れて、できることが増えていって、いつかやりたいことは全部できる、みたいな感覚です。

僕はそれがなんとなくあったと思います。

そしてその万能感を今でも自分の中に持ち続けようとしています。

 

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話を戻しましょう。

僕がやりたいことは、自分のやりたいことで生きていくことです。

なんだかYouTubeの謳い文句みたいになってしまいましたが、やりたいことを仕事にしたいわけです。

就活もずっと自分のやりたいことと会社のマッチングを重視していました。

自分の中で合っていると感じた会社は合ったものの内定がもらえず、そのうちとある企業の社長さんに最終面接で「君は自分で起業とかしてほうがいいかもよ」と言われ、今は起業を考えています。

しかし、起業は簡単ではないと思っています。

いやまあ、起業するだけなら今は資本金1円から起業できるのでまあできるとして、その事業をビジネスとしてやっていくのはとても大変だと思います。

人脈もない、スキルもない、そんな僕がいきなり起業は大変でしょう。

 

友達と就活や内定が無いという話をして、僕が「起業かなぁ~」と冗談っぽく言うと、

「起業とか合ってそう」

「会社で働いているイメージない」

と言われることは多いです。

けれど、起業して成功する保証はどこにもないし、当然彼らの言葉も保証にはなりません。

 

日本社会は一度レールから外れた者に厳しいといいます。

犯罪者はともかく、進学、就職などのライフステージのエスカレーターから外れるともう元の道に戻るのは難しいと。

 

多くの人は、子供の頃、大人になったら何でもできると思っていた幻想から覚め、逆に大人になればなるほど何でもはできないと思っていきます。

それは僕も同じです。

ノーベル文学賞と化学賞を両方取って、オリンピックで金メダルを取ることは不可能でしょう。

けれど僕は、人とは違う何かをできると思っています。

そして同時に、自分にしかできないことをやるべきだと。

 

しかし今の現実はそうはなっていません。

内定は無く、友人と共同で作ったWebサービスも流行っていません。

卒業がどんどん近づいてきていて、親からの生活費はもう貰えません。

今住んでいるアパートの家賃が今後払えるのかも分からない。

 

そんな現実を前にしたら、モットーとか万能感とか、そんな時期外れの中二病みたいなものはさっさと治して、自分は普通の人間なんだと自分を納得させて、今後の人生を生きていくべきなのでしょう。

夜遅くまで働いて、節約して貯金して、今まで育ててもらった親に温泉旅行でもプレゼントするべきなのでしょう。

このまま、起業やなんだと夢を語って、30までフリーターをやって、親孝行どころか実家に帰る交通費すら惜しいと思う未来になるかもしれません。

SNSやブログで偉そうなことを語って、実社会では何の地位も名誉もないような人間になるかもしれないです。

 

でも、それでも、僕は諦めたくないと思っています。

夢から逃げない。

以前ゲームについて語った記事を投稿しました。

その中で僕は、ゲームの中で自分は勝ちから逃げないようにしてるといいました。

いろんな人生があっていいと思います。

それぞれどんなふうに人生を生きるか、人生の価値や勝ちを何に置くかは人それぞれです。

でも、自分の考える人生の”カチ”がもう決まっているのなら、そこからは逃げたくないのです。

たしかに人と違う道を歩むことになるかもしれない。

上手くいく保証はどこにもない。

「自分起業よろしいか?」の言葉の裏には大きな不安が渦巻いています。

だけど、自分を信じなきゃ、それこそ一生後悔すると思います。

だから、僕は万能感を抱き続けます。

 

新企画始動! ラジオ動画はじめました

お久しぶりです。Kazmaです。

ここ最近は、家でゲームをしたり、たまに就活をしたりする毎日です。

なんだか辛くなってきます。

 

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まあそんなことはさておき、前から考えていた企画をついに始めました。

(僕の記事を毎回読んでくれてる方は覚えているかもしれませんが、何個か前の記事で考え中の新企画があると言っていた新企画は、これとは別物です。そっちの方は4月あたりに始動すると思うので、ぜひご期待ください)

 

その名も「もっと平成2020世紀ラジオ」

 

僕が昔に書いた自分の記事を、ラジオで振り返っていくというものです。

記事では書ききれなかったこと、記事を書いた詳しい背景や当時の気持ち、記事から派生した話、話し言葉でないと伝えにくいことなどをラジオでは語っていきます。

 

YouTubeで専用チャンネルを開設して、そこで投稿していくので、ぜひお時間のある時に聞いてみてください。

動画を投稿した時はTwitterで告知しますが、はてブロの記事での告知をするかは今のところ未定なので、見逃したくないという方は、チェンネル登録をお願いします。

やる気が……出ます!

 

今回は第一回目ということで、僕のブログの一番最初の記事、「セックスレスだけが欠点の彼女に最終的に振られた話」の記事を振り返っています。

www.youtube.com

動画は大体20~30分あたりを目安に語っていくので、作業用BGM代わりにでも聞いてください。

動画に関するご意見・ご感想は、動画のコメント欄はもちろん、ブログやTwitterでいつでも受け付けています。

これから定期的に投稿していくので、楽しみにしていていただけると嬉しいです。

 

それじゃ、また!

 

「意見」であれば何を言ってもいい。だけど……

 こんばんは、Kazmaです。これ読みは本名なんですが、なんかもっとペンネームっぽいというか、ハンドルネームっぽい名前にしてもいいかなぁと考え中です。

 なにかいい名前あったらぜひTwitterのDMやリプで提案してください。

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さて、今回は「意見」についての記事です。

この記事を書こうと思ったきっかけは、Twitterで「男児 銭湯」で検索してもらえると分かりますが、とあるユーザーが「男子は幼いころからエロいからなるべく女湯に来ないでほしいねん…」という内容の漫画を投稿したことに端を発する論争です。

本記事では、男児が女湯に入る是非はともかくとして、「意見」に対する僕なりの「意見」を述べていこうと思います。

 ぜひ気軽に読んでいってください。

(あ、あと今回は初の試みで、敬体(ですます調)で記事を書いてみます。どっちの方がいいとかありましたらぜひご意見をください)

 

いきなりですが、僕は煙草を吸いません。吸わないし、煙草の煙は嫌いです。

自分の家に煙草を吸う友達が来た時、絶対に家の中では吸わせません。

喫煙可のお店よりは、完全禁煙のお店の方が好きです。

 

仮に、近所に居酒屋があったとして、僕がそこに週一くらいで通ってたとしましょう。お酒は安いし、焼き鳥は美味しいしで文句なしなのだが、一つ不満があるとすれば、全席喫煙可で、煙草の煙がもくもくしていること。

そのデメリットがあってもプラマイでプラスだから行くのだが、それでも禁煙だったらもっといいのになと思っていたとします。

 

そんな時、僕はその店に電話を掛け、「全席禁煙にしてもらえませんか」と意見を述べることはできるでしょうか?

 

僕は「できる」と思います。

 

なぜなぜ、それは「意見」だから。

もっと言えば、「ハイボールを100円にしてほしい」「焼き鳥を50円にしてほしい」と意見することも可能です。

それは「意見」だから。

 

ただ、お店側は僕の意見に対してなんと言うでしょうか。

きっと答えは「NO」でしょう。

禁煙にしたら煙草を吸いたい人が来なくなるし、ハイボールや焼き鳥をそんなに安くしたら赤字です。

 

お店のNOという返事に、僕はなんと言えるでしょうか。

 

「僕以外にも煙草が嫌いな人はたくさんいるだろうから、禁煙化してください」

もしくは、その居酒屋に来るお客さんに

「煙草は迷惑なので、別の店に行ってください」

と言えるでしょうか。

 

僕は「言える」と思います。

 

ただし、従う義理はありません。

 

 

 

道理の通らない意見であっても、意見であれば言うことは可能だし、それも一つの意見として尊重されるべきです。

だから「意見」であれば基本何を言ってもいいのです。

 

少し前に、入社したてのギャルが上司に「彼氏いるの?」と聞かれ、「言う義理なーい」と答えていたというツイートがバズっていましたが、よく考えれば、人間の会話のほとんどは「言う義理ない」「従う義理ない」ことばかりです。

 

 

「好きな食べものなに?」 「答える義理ない」

「ちょっとそこどいて」 「どく義理ない」

 

犯罪を犯して警察に捕まって尋問されたとしても黙秘権が認められるているのです。

世の中のほとんどは、言う義理ない、従う義理ない、ことばかりです。

つまり、誰かになにか「意見」されたって、それに従う義理はないのです。(あくまでルールや法律に反していなければの話だが)

 

要は、「意見」には「意見」をぶつければいいだけです。

「お店を禁煙にして」 「いえ、禁煙にはしません」

「ここで煙草吸わないで」 「いや、喫煙可の店なので吸います」

 

これでいいわけです。

 

「意見」には論理的な側面と感情的な側面の両方が混じっていることがほとんどです。

だけど、その両方を切り分けて、片方ずつ「論理」で責めるのは問題をこじれさせるだけだと思います。

 

冒頭の銭湯の話に戻ってみましょう。

漫画を書いた人は、自分の体験から女湯に男児がいることが不愉快で、たとえ児童であっても性別に沿ったお風呂に入って欲しいと思って投稿したのでしょう。

 

それ自体は一つの意見ですから、言っていいし、尊重されるべきです。

 

けれど、各地方自治体や銭湯ごとにルールが決まっていて、そのルールさえ守っていれば、児童を異性の風呂に入れることは何ら咎められることではありません。

 

男児が女湯に入ってくることを嫌だと思う人が、それを意見することも別に悪いことではないありませんが、その意見を発したからと言って他人がそれに従う義理がないことをよく理解しておく必要があるでしょう。

 

また、片親で、子供と性別が違う場合一緒に入らなければならない親御さんも、そういう意見を言われたからと言って銭湯に連れいていくことを萎縮する必要はありません。ルールは守っているのですから、一個人の意見に従う義理がないことを思い出すべきです。

 

そうすれば無駄な争いは起きないと思います。

 

「意見」をされたからって「従う義理」はない。

 

これだけを頭に入れておくだけで、自分と違う意見を言う人にも、自分の意見に従わない人にも寛容になれるかと思います。

 

ただし、対面で意見を言われた時に「従う義理ないですよね」と返すのはあまりおすすめはしません。

あくまでそういった考えを持っておくという話で、人と話す場合はコミュニケーションになることを重要視するべきだと思います。

 

 

さてさて、ここまで長々と僕の「意見」に対する「意見」を述べてきましたが、当然、この僕の「意見」にも「従う義理」ないですからね。

それでは、また!

 

俺にとって「ゲーム」とは?

ここ最近の記事はちょっと真面目系の記事が多かったので、今回は初心に帰って少し自分語り系の記事を書こうと思う。

まあ気軽に読んでもらえると嬉しい。

 

ここでいう「ゲーム」とは、主にテレビゲームのことである。据え置きゲーム、携帯ゲーム、スマホゲームなどだ。

ところで皆さんは普段ゲームをするだろうか。

ソシャゲーなら少しだけ、ポケモンGOだけといった感じにスマホゲームを少しやっているという人の方が多いかもしれない。

昨今はスマホゲームのクオリティも上がってきていて、例えばPUBGや第五人格のようなオンラインのリアルタイム対戦も楽しめるようになってきた。(実際俺もスマホ版PUBGにはハマっている)

ハイクオリティなゲームをスマホで遊べるようになり、ゲームがより身近になるのとは裏腹に、例えばそのゲームはもう遊んでいないけどYouTubeでそのゲームの実況動画は見る、といったような現象も置きている。(俺もシャドウバースをやっていない時期があったが、実況だけは見ていた)

また、eスポーツという言葉も徐々に世の中に浸透しはじめ、例えばAbemaTVなどでプロリーグが放送されているゲームもあり、彼らプロ選手のプレイは素人のそれとは一線を画している。

 

今やここまでゲーム文化が広がったわけだが、そんな中、俺にとってゲームとは何かを今回は語っていこうと思う。

当然ながら、ゲームで一本記事を書こうとしてるくらいなのだから、俺はゲームが大好きである。

 

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俺が初めて遊んだゲームは、ゲームボーイアドバンス(以下GBA)の「スーパーマリオアドバンス3」である。スーファミのソフト「ヨッシーアイランド」をGBA用にリメイクしたものだ。

たしか4,5歳の時のクリスマスプレゼントでサンタさんからもらったという設定だったはずだ。

当時まだ幼稚園児だった俺には、このゲームは結構難しく、母親と交代でプレイしながら徐々に面を進めていったのを覚えている。

ただ後に話すが、このゲームをクリアするのは実は相当後になってからだ。

 

その次に買ってもらったのが、「ポケットモンスター ルビー」だった。

近所の電気屋に親と祖父母で行った際、なんかよく分からないけどノリで買ってもらえたゲームだ。

ポケモン自体は好きだったが、ポケモンにゲームがあるってこともいまいち理解していない年頃だったので、欲しくて買ってもらったというよりは、なんか幼稚園内で話題になっていたから、「あ、これみんなが言ってたやつだ」みたいな感じで買ってもらった気がする。

これも母親と共同で進めていくのだが、俺が出かけている間に母親が進めていて、途中で出てくるグラードンを捕まえずに倒してしまい、殿堂入り後にもう一度チャンスがあることを知らなかったので確か最初からにしたようなしなかったような……

(これ意外にも、俺はジュカインが大好きだったのでキモリで進めていたのだが、殿堂入りに異常に苦戦し、ミズゴロウにしてやり直したりもしていた気もする)

 

この頃は、この他にも、ハリーポッターのゲームを買いに行ったけどいざ箱を見たらつまらなさそうだったので別のにしようと思い買った「ポケモンピンボール ルビー&サファイア」、ミルモでポン!が好きだったので買った「わがままフェアリー ミルモでポン ! ~8人の時の妖精~」など、いろいろ買ってもらってた。

 

 

ただこの頃から俺のゲーム人生に陰りが見え始める。

小学校に入り、母親が教育熱心になりはじめ、ゲームをする時間が一日◯時間と決められるようになってきた。詳しくは覚えていないが、宿題や勉強や手伝いをするとその時間が増えたような気がする。

(この経験からかは知らないが、俺はハート制のソシャゲーや、ポイントで読める話数が決まっているマンガアプリがあまり好きじゃない)

 

小学3,4年の頃に「ポケットモンスター ダイヤモンド」を買ってもらった。

これが俺にとって初のDSソフトであり、当然本体も同時に買ってもらったのだが、その当時、DS Liteの人気色は品薄で、近くのトイザらスに祖父が早朝から整理券をもらうために並んでくれてたのを覚えている。(ちなみに俺は、大学2年の時、PSVR購入のために近所のヨドバシに徹夜で張り込み、並んだことがある。ちなみにそのPSVRはもう売った)

親に買ってもらったDSソフトは、このポケモンとますます百ます計算のみで、後に話すDSソフトは全て自分のお小遣いやお年玉で買っている。

 

小学5年の秋頃から、俺は進学塾に通い始めた。

そしてその塾の脇に書店があったのだが、その書店の6階がなぜかゲーム売り場だった。

塾に通いだした頃は平日3日の平日コースに入っていたのだが、途中で土曜日だけに3日分をまとめる土曜コースに変え、塾と家の往復も、親の車からバスに変わった。

これによって俺が得たのは自由な時間である。

そうして何度も帰りのバスの時間を待つ間、隣の書店で本を見たり、ゲームを見たりしているうちに、「お年玉あるし、ゲーム買っちゃおうかな」と思い始めた。

当時、親にゲームを禁止というか、取りに行きにくい場所にゲームを置かれてしまい、自由にプレイできない状況だった。

だったら親の知らないゲームを買って、それで自由に遊べばいいじゃないか。

俺はそう気づいたのだ。

こう聞くと、「親の言うことは聞けよ」と思うかもしれないが、俺は割と親の言うことは聞く子供だったと思う。

ただ理屈の通らないルールに従う必要はないと悟っただけだ。

 

そうしてDS iを手に入れた俺は、マリオカートDSなどを自由に遊んだのだ。

そして更に大胆になり、親が風呂に入っている間などに、親の隠されたゲームを自室に持ち込み、昔のGBAのソフトを遊びだす。

この時、幼稚園の時に買ってもらった「スーパーマリオアドバンス3」を無事クリアするのだった。

 

中学になり、PSPを買ってモンハン2ndGやモンハン3rdなどに触れ、(一度充電中のPSPを見つかったがいろいろ言って誤魔化したことがある)、一時期はモンハンをやるために生きていると感じる時さえあった。

DSではポケモンにハマり、「ポケットモンスター ブラック」「ポケットモンスター ソウルシルバー」では人生初の厳選を実行した。

 

そんな感じで高校に入り、さぞもっとゲームにドハマリするかと思えば、意外とそうではなかった。

おそらく俺がこれまでの人生で一番ゲームをしていない時期だと思う。

親は、なし崩し的に俺が勝手に買ったゲームを認め、時間制限なく遊べるようになったのだが、「ポケットモンスター ブラック2」こそ遊んだが、XYやAROSは買うことさえなかった。

スマホゲームを少しやったり、ネットゲームを少し遊んだが続かず、この時期はYouTubeの動画投稿や小説執筆、ツイキャスなどをよくやっていたと思う。

 

大学になり、スプラトゥーンのために貯めていたお年玉でとりあえずの暇つぶしとしてマリカー8同梱版のWii Uを買い、スプラトゥーン発売までコーナーで差をつけていた。

スプラトゥーンが発売すると、発売日にDL版を購入し、朝まで7時間ぶっ通しでプレイした。

その後も毎日スプラトゥーンで遊び、喜びと怒りを繰り返していた。

ガチマッチがギリギリで負け、ウデマエが下がる時のダメージは凄まじく、普段冷静なことで有名な俺が大声を出していたので近所の方にはご迷惑をかけたかもしれない。

大学1年の時、まともに遊んだゲームはマリカー8とスプラトゥーンだけだ。

 

そして大学2年、ポケモンGOにハマった。配信初日から街に出かけ、ポケモンを乱獲し、深夜まで徘徊する生活を、一ヶ月以上続けた。その間、テスト期間もあったが、なんとか無事にポケモンも単位もゲットすることができた。

夏休み、実家に帰省し、田舎のためポケモンもいないので、友達に進められたシャドウバースをプレイしてどハマり。ここから一年半くらい定期的にプレイした。

 

大学3年、スプラトゥーン2の発売。ニンテンドースイッチの品薄によりどこに行ってもスイッチが手に入らず、テスト期間が終わるまでには見つけたいと思っていたのだが、とうとう見つからなかったので、諦めてAmazon転売ヤーからスプラトゥーンセットを買った。

この頃は彼女がいて、彼女は家庭用のゲームは苦手だしほとんどやらない人だったので、俺がやるのを横で見ているって感じだったが、スプラトゥーン2は1ほどはやりこまなかった。

冬にはモンハンワールドが発売し、「今更モンハンねぇ」と見送っていたのだが、春休みに入り、やることもなく暇だったので、近所の電気屋に買いに行くが売り切れ。

「ソフトが売り切れって今の時代あんの!?」と驚愕しながらDL版を購入し、歴戦キリンまで突っ走ったが、そこで燃え尽きた。

 

そして大学4年。前期は特にハマるゲームもなく、スマホ版のPUBGやモンハンワールドを友達と遊んだり、といった感じだった。

12月にスマブラが発売され、俺はスマブラをやったことがない人だったので、「今更一からやるのもなぁ」と思っていたのだが、Amazonで安かったので購入。

ハマる。

そして1月に入り、シャドバの新パックが出て、なんだか安くて強いマナリアデッキなるものがあると耳にし、試しに余ってたエーテルで作ってみると、びっくりするほど強い。

同時期に、以前俺にシャドバを進めた友達もまた始めたらしく、最近は彼と夜に通話しながらシャドバをよくやっている。

 

 

 

さて、ここまで長々と俺のゲーム史を語ってきたわけだが、ここに出てる以外にもプレイしたタイトルはたくさんある。

ただターニングポイントというか、今振り返った時にパッと出てくるものを書いたという感じだ。

 

そして、ここまで来てようやくタイトルの議題の回収が始まるのだが、

俺にとって「ゲーム」とは、「人生」だ。

それは、この記事で語ってように、自分の人生を振り返った時、「あぁ、あの時はあのゲームで遊んでたなぁ」という思い出としての意味の人生でもあるが、それ以上の人生、つまり人間の生き様、人生の勝ち負けみたいな、そういう概念としての人生の意味を含んだものだ。

 

マリオカートをオンラインで遊んだことのある人はいるだろうか。

最新作のマリカーは最大12人対戦なのだが、オンラインで遊ぶと1位のプレイヤーは2位以下に大きく差を着けてゴールすることが多い。

そして逆に3位から8,9位くらいのプレイヤーはお互いに足を引っ張り合って、団子状にゴールする。

これは世の中の縮図ではないかと思う。

本当に目指すべきは1位だし、1位を抜かないと意味がない。

しかし、中間層の人間は、目の前の相手を蹴落とすことばかり考えてお互いに潰し合い、1位はその圧倒的な力で誰にも邪魔されず更に先に行く。

 

また、俺はゲームは基本クリアするため、勝つためにやっている。

だから負けると悔しいし、俺はこんなところで負ける人間じゃないと思う。

ゲームの楽しみ方は人それぞれで、ただプレイするだけで楽しいエンジョイ勢、勝てなくても自分のこだわりを出したいこだわり派などいろいろいるが、俺はオンライン対戦は特に勝つことが全てだと思っている。

勝たなきゃ意味がない。

良いプレイ、良い展開、そんなことはどうだっていい。

結果が全て、だと。

そして、勝つことから逃げない。

楽しみたいから、こだわりたいからと弱いキャラや武器を使うことは、どこかに負けた時の言い訳を作れてしまう。

勝つために強いキャラや武器を使う。

楽しさやこだわりを出すのは、強いキャラや武器でいつも勝てるようになってしまい、次のステップに進みたい強者のやることだ。

俺はまだ弱い。

だけど勝ちから逃げない。

言い訳を作らない。

 

そんな俺の人生観はゲームのプレイやキャラ選びにも現れている。

スマブラSPを買った時、俺はすぐに最強キャラランキングを確認し、強いと言われるキャラを使って、自分の肌に合うキャラを探した。

シャドウバースをプレイする時、俺は常に環境のTier1デッキ(要は強いデッキのこと)をチェックし、その中から使いたいデッキを選び、自分なりにカスタマイズしていく。

プロ選手や研究熱心な人が出した一応の答えは、基本となると俺は思っている。

なんでも基本が大事だ。基本を知らず応用やオリジナリティを出すことはできない。

俺はそう思っている。

そんな信念のようなものと歴史をひっくるめて、ゲームとは人生なのだ。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

じゃあ、また!