平成2020世紀日記

大学生の視点から社会、政治、映画やアニメ、自分の事から身近なくだらないことまで語るブログです。

「意見」であれば何を言ってもいい。だけど……

 こんばんは、Kazmaです。これ読みは本名なんですが、なんかもっとペンネームっぽいというか、ハンドルネームっぽい名前にしてもいいかなぁと考え中です。

 なにかいい名前あったらぜひTwitterのDMやリプで提案してください。

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さて、今回は「意見」についての記事です。

この記事を書こうと思ったきっかけは、Twitterで「男児 銭湯」で検索してもらえると分かりますが、とあるユーザーが「男子は幼いころからエロいからなるべく女湯に来ないでほしいねん…」という内容の漫画を投稿したことに端を発する論争です。

本記事では、男児が女湯に入る是非はともかくとして、「意見」に対する僕なりの「意見」を述べていこうと思います。

 ぜひ気軽に読んでいってください。

(あ、あと今回は初の試みで、敬体(ですます調)で記事を書いてみます。どっちの方がいいとかありましたらぜひご意見をください)

 

いきなりですが、僕は煙草を吸いません。吸わないし、煙草の煙は嫌いです。

自分の家に煙草を吸う友達が来た時、絶対に家の中では吸わせません。

喫煙可のお店よりは、完全禁煙のお店の方が好きです。

 

仮に、近所に居酒屋があったとして、僕がそこに週一くらいで通ってたとしましょう。お酒は安いし、焼き鳥は美味しいしで文句なしなのだが、一つ不満があるとすれば、全席喫煙可で、煙草の煙がもくもくしていること。

そのデメリットがあってもプラマイでプラスだから行くのだが、それでも禁煙だったらもっといいのになと思っていたとします。

 

そんな時、僕はその店に電話を掛け、「全席禁煙にしてもらえませんか」と意見を述べることはできるでしょうか?

 

僕は「できる」と思います。

 

なぜなぜ、それは「意見」だから。

もっと言えば、「ハイボールを100円にしてほしい」「焼き鳥を50円にしてほしい」と意見することも可能です。

それは「意見」だから。

 

ただ、お店側は僕の意見に対してなんと言うでしょうか。

きっと答えは「NO」でしょう。

禁煙にしたら煙草を吸いたい人が来なくなるし、ハイボールや焼き鳥をそんなに安くしたら赤字です。

 

お店のNOという返事に、僕はなんと言えるでしょうか。

 

「僕以外にも煙草が嫌いな人はたくさんいるだろうから、禁煙化してください」

もしくは、その居酒屋に来るお客さんに

「煙草は迷惑なので、別の店に行ってください」

と言えるでしょうか。

 

僕は「言える」と思います。

 

ただし、従う義理はありません。

 

 

 

道理の通らない意見であっても、意見であれば言うことは可能だし、それも一つの意見として尊重されるべきです。

だから「意見」であれば基本何を言ってもいいのです。

 

少し前に、入社したてのギャルが上司に「彼氏いるの?」と聞かれ、「言う義理なーい」と答えていたというツイートがバズっていましたが、よく考えれば、人間の会話のほとんどは「言う義理ない」「従う義理ない」ことばかりです。

 

 

「好きな食べものなに?」 「答える義理ない」

「ちょっとそこどいて」 「どく義理ない」

 

犯罪を犯して警察に捕まって尋問されたとしても黙秘権が認められるているのです。

世の中のほとんどは、言う義理ない、従う義理ない、ことばかりです。

つまり、誰かになにか「意見」されたって、それに従う義理はないのです。(あくまでルールや法律に反していなければの話だが)

 

要は、「意見」には「意見」をぶつければいいだけです。

「お店を禁煙にして」 「いえ、禁煙にはしません」

「ここで煙草吸わないで」 「いや、喫煙可の店なので吸います」

 

これでいいわけです。

 

「意見」には論理的な側面と感情的な側面の両方が混じっていることがほとんどです。

だけど、その両方を切り分けて、片方ずつ「論理」で責めるのは問題をこじれさせるだけだと思います。

 

冒頭の銭湯の話に戻ってみましょう。

漫画を書いた人は、自分の体験から女湯に男児がいることが不愉快で、たとえ児童であっても性別に沿ったお風呂に入って欲しいと思って投稿したのでしょう。

 

それ自体は一つの意見ですから、言っていいし、尊重されるべきです。

 

けれど、各地方自治体や銭湯ごとにルールが決まっていて、そのルールさえ守っていれば、児童を異性の風呂に入れることは何ら咎められることではありません。

 

男児が女湯に入ってくることを嫌だと思う人が、それを意見することも別に悪いことではないありませんが、その意見を発したからと言って他人がそれに従う義理がないことをよく理解しておく必要があるでしょう。

 

また、片親で、子供と性別が違う場合一緒に入らなければならない親御さんも、そういう意見を言われたからと言って銭湯に連れいていくことを萎縮する必要はありません。ルールは守っているのですから、一個人の意見に従う義理がないことを思い出すべきです。

 

そうすれば無駄な争いは起きないと思います。

 

「意見」をされたからって「従う義理」はない。

 

これだけを頭に入れておくだけで、自分と違う意見を言う人にも、自分の意見に従わない人にも寛容になれるかと思います。

 

ただし、対面で意見を言われた時に「従う義理ないですよね」と返すのはあまりおすすめはしません。

あくまでそういった考えを持っておくという話で、人と話す場合はコミュニケーションになることを重要視するべきだと思います。

 

 

さてさて、ここまで長々と僕の「意見」に対する「意見」を述べてきましたが、当然、この僕の「意見」にも「従う義理」ないですからね。

それでは、また!