平成2020世紀日記

大学生の視点から社会、政治、映画やアニメ、自分の事から身近なくだらないことまで語るブログです。

平成とはどんな時代だったか? 次の時代には何を求めるか?

お久しぶりです。

大学生活最後の授業もあっさり終わり、あとは卒業を待つばかりとなりました。

内定は以前ありませんが、例のWebサービスや別で動いている企画が軌道に乗れば、そのまま起業もいいかもしれないと思いながら、のんびり生きています。

最近は家の中で、スマブラマリカーとシャドバばかりやっていて、何かしなければという思いから、今回の記事を書き始めました。

平成ももう少しで終わりということで、平成とはどんな時代だったのかを自分なりに語ってみたいと思います。

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 平成は1989年の1月8日に始まった。

6月には天安門事件、11月にはベルリンの壁崩壊と世界的な事件が起こった年だった。

ベルリンの壁崩壊は、冷戦の終結の象徴とされている。

つまり昭和が終わり、日本が新しい時代に踏み出すとほぼ同時期に世界も変化したのだ。

今年の正月にやっていた「朝まで生テレビ」で、とある人がこんなことを言っていた。

「昭和とは、平和と繁栄はいつか終わると思って生きていた時代。平成は終わりなき日常を生きてきた時代」と。

昭和と平成は、まさしくこの言葉で言い表せるのではないかと思う。

昭和は、戦争からの敗戦。世界は冷戦状態になり、それが終結。核戦争の危機から脱したが、平成が始まると失われた20年に突入し、この日々がずっと続くのだろうという漠然とした感覚の中生きていた。

 

偶然にもそういった世界や経済の大きな流れは昭和と平成の時代の変化は噛み合ったが、もう少しミクロな視点、私達の生活や価値観の変化はどうだろうか。

 

よく考えや行動が古臭い人のことを「昭和」という言葉を使ってからかったり、批判することがある。

お菓子の袋の口をしばるときに百均の便利アイテムではなく輪ゴムを使ったりしていると、「昭和かよw」と言われるかもしれない。

でも逆に「昭和は良かった」といったような古き良き日本を思い浮かべる言葉でもある。

昭和の時代にはこんなのなかったから逆に面倒臭くなかった、と言っている大人をよく見かける。

なんにせよ、昭和という時代は、それまでの日本の価値観(ほとんどは平安や江戸から続く伝統ではなく、明治以降に作られた新しいもの)をほぼそのまま受け継いでいった時代だったのではないかと思う。

男と女、家族関係、人種、国籍、家事と育児、仕事、LGBT……などなど。

身近なものに対する価値観のほとんどは俗に「古い」といわれるもののままの人が多かったのではないだろうか。

 

逆に平成はどうか。

例えばさっき例に出したものでいくつか考えてみると、男女は平等、長男が家を継ぐばっかりじゃない、人種や国籍で差別してはいけない、家事と育児は夫婦で分担、仕事はQOLを考える、LGBTへの配慮……などなど、それぞれに大して新しい考え方が出てきたのではないだろうか。

もちろん昭和生まれの人であっても、以前からこのように考えていた人はいるだろうが、ここでは誤解を恐れずこう言わせてもらった。

 

こう見ると、昭和から平成に変わり、新しい価値観が広まり、世の中はよくなった、と思えてくる。

しかし、平成は一つ大きな間違いを犯してしまった。

 

昭和の否定すべき場所は、価値観ではなく、価値観の絶対化だった、ということだ。

 

つまり、昭和の「AはBだ」という考えがあったとして、平成はそれを「AはCだ」としただけだったのだ。

Aに大してBと考えることが完全に間違いであるばかりではない。またCと考えないからって駄目なわけじゃない。

「Aは〇〇だ」と決めつける価値観の絶対化そのものが駄目なのだ。

正しい価値観というものが決まっていたことそのものが、社会に不幸な人を生む原因になっていたのだろう。

 

たしかに世の中におおよそ変わることがないであろう、普遍的な価値観というものもある。(人を殺すのはいけないこと、など)

ただ、身近なものの価値観には正解を作らないほうがよいことが多いと思う。

価値観に正解を作らない、もしくは一応の正解を置きつつ、反対の意見を持つ人とうまくやっていくことは、非常に難しいし、面倒くさい。

しかし私達はそれをやっていかなければならないと思う。

 

平成の次の時代に、私はそれを求めたい。

 

私はリベラル派だけど、リベラルは本来異なる考えや背景をもつ人を受け入れる寛容性が重要だったはずだ。

昭和の時代、リベラルに考え寛容性や新規性を含んだ考えが生まれ、平成になるといつしかそれが正しいリベラル的な考えということになってしまい、リベラルが窮屈になり、社会を混乱させているように感じる。

 

平成の次の時代が、価値観を上書き保存するのではなく、別名で保存するような、そんな時代になることを私は願う。